公務員試験 2020年 国家一般職(教養) No.35解説

 問 題     

18 世紀から19 世紀にかけてのヨーロッパに関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.18 世紀半ば,プロイセンのフリードリヒ二世は,長年敵対関係にあったイタリアと同盟してオーストリアに侵攻し,資源の豊富なアルザス・ロレーヌを奪って領土とした。その後,オーストリアは英国と同盟して七年戦争を起こし,アルザス・ロレーヌを取り戻した。

2.19 世紀初頭,クーデタによって権力を握ったナポレオンは,ナポレオン法典を制定して地方分権や封建制を強化したほか,トラファルガーの海戦でプロイセンに勝利し,皇帝に即位した。しかし,その後自らもロベスピエールらのクーデタにより失脚し,処刑された。

3.19 世紀前半,ヨーロッパの秩序再建を討議するために,メッテルニヒの主催の下,諸国の代表が参加したウィーン会議が開催された。この会議ではフランス革命以前の諸君主の統治権の回復を目指す正統主義が原則とされ,革命や政治変革を防止するためのウィーン体制が成立した。

4.19 世紀半ば,ロシアは領土拡大を狙うオスマン帝国によって侵攻され,クリミア戦争が始まった。この戦争では,ウィーン体制の維持のためプロイセンとフランスがロシアを支援したことから,ロシアは勝利してオスマン帝国から不凍港を手に入れた。

5.19 世紀には,自然科学分野においては,メンデルが進化論を,コントが史的唯物論を唱えるなど,科学的考察への志向が強まった。一方,芸術分野においては,ルノワールなどの印象派画家が生まれるなど,個人の自然な感情などを重視する自然主義が台頭し,科学的視点はあまり重視されなかった。

 

 

 

 

 

正解 (3)

 解 説     

選択肢 1 ですが
1740 年から始まる ハプスブルク家相続が争点となり生じた オーストリア継承戦争(オーストリア VS プロイセン)及び、それに続く七年戦争の結果、プロイセンが 資源豊富なシュレジエン を領土として確保します。(参考 国家専門職 H24no35)。アルザス/ロレーヌ地方は、ライン川中流西岸にあり、ドイツとフランス間で長く領有権が争われた地方です。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
トラファルガーの海戦フランス・スペイン連合 VS イギリス艦隊 です。ネルソン率いる イギリス艦隊が勝利しました。(参考 国家専門職 H30 no35)フランスのナポレオンは制海権を失い、大陸制覇へと方針転換をするきっかけとなります。「ナポレオンは トラファルガーの海戦でプロイセンに勝利した」わけではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 は妥当です。
ウィーン会議、ウィーン体制についての記述です。ウィーン会議は「会議は踊る、されど進まず」と評されました。(参考 国家専門職 H24 no35)。

選択肢 4 ですが
クリミア戦争1853~56年の 「ロシア VS オスマン帝国+英・仏(当時はナポレオン3世の時代)」の戦いです。オスマン帝国を様々な国が支援し、ロシアが敗北した戦争です。「プロイセンとフランスがロシアを支援し,ロシアは勝利」ではありません。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが
史的唯物論を唱えたのは、カール・マルクスです。コントはスペンサーと共に「社会学の祖」と呼ばれた人です。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 3 です。

 

 

 

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