公務員試験 2020年 国家一般職(教養) No.34解説

 問 題     

桃山時代から明治時代における我が国の外交等に関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.豊臣秀吉が 2 度の朝鮮出兵を行った結果,江戸時代を通じて我が国と朝鮮は長く国交が断絶した状態にあったが,明治新政府の成立を契機に対馬藩を窓口として国交の正常化が実現し,日清戦争が始まるまでの間,数回にわたって朝鮮通信使が派遣されてきた。

2.江戸幕府は,戦国時代末期に島津氏に征服された琉球王国に対して,明との貿易を禁止したが,明が滅びて清が建国されると,琉球王国は清の冊封を受けるとともに朝貢貿易を再開したことから,江戸幕府は我が国と清との交易を全面的に禁止した。

3.18 世紀にロシアの南下政策に危機を感じた江戸幕府は,伊能忠敬に蝦夷地,樺太の地図作成を命じた。樺太の帰属は日露間の大きな問題であり,樺太・千島交換条約で樺太南半分の領有権を得る代わりに千島列島の領有権を放棄することでその問題を解決した。

4.19 世紀中頃,米国使節のペリーは,黒船を率いて江戸湾入口の浦賀に来航し,開国を求める国書を渡し,翌年,その回答を求め再び来日した。江戸幕府は,下田・箱館の開港,漂流民の救助,米国に対する最恵国待遇の供与等を内容とした日米和親条約を結んだ。

5.江戸時代に長崎の出島でオランダのみと行われていた西洋諸国との貿易は,日米修好通商条約の締結後,スペイン,ポルトガル,オランダ,英国とも通商条約を締結し,大きく拡大した。これら 4 か国との条約では,日米修好通商条約で認められなかった我が国の関税自主権が認められた。

 

 

 

 

 

正解 (4)

 解 説     

選択肢 1 ですが
豊臣秀吉による2度の朝鮮出兵後、徳川家康が国交を回復しました。朝鮮側からの外交使節団である通信使は 1811 年まで続いていました。(参考 H25no34)。「江戸時代を通じて我が国と朝鮮は長く国交が断絶」ではありません。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
幕府は琉球王国に対して、明との貿易を禁止していません。また、江戸幕府は当時外交制限をしていましたが、清、オランダ、朝鮮、琉球王国との交易は行っていました。「清との交易を全面的に禁止」ではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが
樺太千島「交換」条約なので、樺太をロシア領、千島を日本領とした条約です。「樺太南半分の領有権を得る代わりに千島列島の領有権を放棄」ではありません。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 は妥当です。
ペリーの来航、日米和親条約締結についての記述です。

選択肢 5 ですが
日米修好通商条約の締結後、幕府は、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと同様の通商条約を締結します。安政の五カ国条約と呼ばれます。「スペイン、ポルトガル、オランダ、英国」ではありません。また、同様の通商条約であり、関税自主権は認められていません。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 4 です。

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