公務員試験 H25年 国家一般職(教養) No.34解説

 問 題     

鎌倉時代から江戸時代までにおける我が国の対外関係に関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.13 世紀後半、元のフビライは、日本に対して二度にわたって軍事行動を起こした。鎌倉幕府は執権北条時宗の指導の下、朝鮮半島の高麗の支援も受けて、二度とも対馬沿岸において元軍を撃退した。

2.15 世紀初め、足利義満は室町幕府の経済的基盤を強化することを目的として、日本と明の対等な関係に基づく勘合貿易を始めた。貿易の主要品目についてみると、日本から明に生糸や絹織物が輸出される一方、明からは大量の銅銭が輸入された。

3.16 世紀末、豊臣秀吉は、キリスト教の国内への広がりを抑えるためバテレン追放令を出すとともに、海外貿易を全面的に禁止した。また、秀吉は朝鮮半島に出兵し、明からの独立を図る李氏朝鮮とともに明と戦ったが、失敗に終わった。

4.17 世紀前半に江戸幕府によって行われた鎖国政策により、日本の貿易相手国はオランダ、ポルトガル、清の三か国に限られることとなった。この政策により、17 世紀前半まで行われていた通信使と呼ばれる使節を通じた朝鮮との交流も禁止された。

5.19 世紀半ば、アメリカ合衆国のペリーは軍艦を率いて日本に来航し、江戸幕府に開国を要求した。幕府はやむなく、下田と箱館を開港することなどを内容とする日米和親条約を結んだ。次いで幕府はイギリスやロシアなどとも同様の条約を結び、200年以上続いた鎖国体制は崩壊した。

 

 

 

 

 

正解 (5)

 解 説     

選択肢 1 は、1274 文永の役、1281 弘安の役についての記述です。つまり、2度に渡るモンゴル帝国・高麗連合軍による 日本侵攻についての記述です。従って「朝鮮半島の高麗の支援を受けて、・・・」という部分が明らかに誤りです。

選択肢 2 ですが、室町時代の勘合貿易は、日本にとってボロ儲けの貿易でしたが、属国として扱われるという、国の面子を保つことができないものでした。そのため、中止や再開を繰り返します。従って、「日本と明の対等な関係に基づく・・・」という部分が明らかに誤りです。また、勘合貿易の主要品目は、日本が銅の輸出、生糸等を日本が輸入 です。記述は品目も逆です。

選択肢 3 の後半は、文禄・慶長の役についての記述です。すなわち、日本 VS 明、李氏朝鮮 です。従って、「李氏朝鮮とともに明と戦った・・・」という部分が明らかに誤りです。ちなみに、記述の前半部における「海外貿易を全面的に禁止した」という部分も誤りです。

選択肢 4 ですが、鎖国政策の大きな理由は、布教が広まってほしくなかったからです。布教しまくって、鎖国につながったのは、ポルトガル、スペイン等のカトリック布教です。従って、貿易相手国 に ポルトガルが入っているのは誤りです。また、通信使については、1811年まで続いています。

選択肢 5 は、正しい記述です。日米和親条約 by ペリー のポイントとして、下田はアメリカの領事館が置かれたこと、函館では自由貿易は認められず、決められた物資の販売のみOKという条約です。ちなみに、その4年後の日米修好通商条約 by ハリス では、函館の自由貿易も含めて、横浜、新潟、神戸、長崎 が開港です。

以上より、正解は 5 です。

コメント