1H-NMRのスペクトル解析

この項では、前項までに紹介した1H-NMRスペクトル解析の方法を用いて、実際に構造決定を行っていきます。

情報として与えられているのは、以下の1H-NMRスペクトルと、分子式がC10H12O3ということのみだとします。また、7.26ppmのシグナルは溶媒のシグナルなので、構造決定においては無視します。

どのシグナルから考えるかは基本的に自由なので、好みや考えやすさで適当に選んでください。以下では特徴的なものから優先して解説していきますが、この順番である必要はありません。

また、必要に応じて前のページまでを見返しながら、特に化学シフトについては1H-NMRの化学シフトのページの表を確認しながら考えてください。

芳香環(6.87ppm、7.96ppm)

1H-NMRスペクトルを用いた構造決定のときに真っ先に確認したいのは、6~9ppmあたりにある芳香環のシグナルです。これがあれば、炭素6つ分が一気に決まるため、残りの構造を考えやすくなります。

今回は6~9ppmにシグナルがあるため、まずはこの未知化合物が芳香環を有することがわかります。

さらに、この範囲にあるシグナルは4H分であることから、この芳香環がベンゼン環なら、二置換であることがわかります。
(芳香環だからといってベンゼン環とは限りませんが、大体はベンゼン環なので最初はその前提で考えて良いと思います。)

また、二置換ベンゼンには置換基の位置によってo (オルト)、m (メタ)、p (パラ)の3種類がありますが、どれであるかはシグナルを見ればわかるようになっています。

というのも、m (メタ)の場合は以下の構造を見てわかる通り、2つの置換基R1とR2が仮に一緒だったとしても、4Hのうち紫色の2つだけが等価なので、3種類の水素があります。

ですが、今回のスペクトルでは4Hの内訳は、2Hが2組になっているため、m (メタ)ではないことがわかります。まして、R1とR2が異なる置換基であれば、4つのHが全て等価ではなくなるので、やはりm (メタ)ではありません。

また、o (オルト)の場合は以下のようになり、R1とR2が同じものであれば、2Hが2組という点はスペクトルと矛盾しません。しかし、よく見るとシグナルの分裂の仕方が間違っていることに気がつきます。

o (オルト)のときの水素は、以下の右図の赤色の水素は隣接水素が1つのため、d(ダブレット)になりますが、紫色の水素は隣接水素が両側にあるので計2つとなり、つまり、シグナルは t(トリプレット)となります。

冒頭のスペクトルでは2組のシグナルともに d(ダブレット)なので、o (オルト)と考えては合わないことがわかります。

ちなみに、m (メタ)のときと同様、R1とR2が違う置換基であれば、これも4つのHが全て非等価となります。

つまり正解は p (パラ)なのですが、以下を見ると、R1とR2が同じものであれば4つのHが全て等価になってしまいます。

しかし、R1とR2が違うものだとすると、4Hの内訳は2Hが2組でどの水素も d(ダブレット)になることがわかります。

ちなみに、スペクトルでは d(ダブレット)があまりキレイではありませんが(細かくたくさん分裂しているように見えますが)、これは隣接水素以外にも立体的にやや近くに位置する水素の影響を受けているために現れてくるものです。

ものすごく複雑な化合物の構造決定をするなら別ですが、基本的にはこのような小さな分裂は気にせず、大きく割れている分裂にだけ注目すれば大丈夫です。

ヒドロキシル基の水素(6.00ppm)

6ppmあたりに、幅の広いシグナルがあります。これはヘテロ原子(OやN、Sなど)と結合している水素であることを表すので、C10H12O3であることから考えると、ヒドロキシル基(-OH)の水素であることがわかります。

アルキル基(1.02ppm、1.78ppm)

スペクトルの右のほうにあるものは大体、アルキル基です。

より正確には、1H-NMRの化学シフトのページの表にもある通り、

  • 第一級アルキル:0.8~1.0ppm
  • 第二級アルキル:1.2~1.4ppm
  • 第三級アルキル:1.4~1.7ppm

というのが目安になりますが、これは周囲の構造によって多少変動します。また、そもそも第何級かによって水素の数が違うので、ざっくりと「2ppm以下はアルキル基」と覚えてしまっても、何とかなる場合が多いです。

今回は1.02ppmあたりに3H分あるので、これは末端のメチル基(-CH3)だとわかります。また、分裂様式は t(トリプレット)なので、隣接水素は2つです。

続いて、1.78ppmあたりに2H分あるので、これはメチレン基(-CH2-)です。また、分裂様式は sext(セクテット)なので、隣接水素は5つです。

ということは、このメチレン基の両側には、メチル基(-CH3)と、これとは別のメチレン基(-CH2-)があると判断できます。

以上の2つのシグナルより、より、構造式中に「-CH2-CH2-CH3」があることがわかります。このうち一番右の水素は1.02ppmに対応し、真ん中の水素が1.78ppmに対応します。

また、一番左の水素は次に解説する4.26ppmに対応します。

エステル(4.26ppm)

上記で存在がわかっているもうひとつのメチレン基(-CH2-)は、消去法で4.26ppmの2Hが該当します。これは3.5~4.5ppmに現れるエステルのシグナルだと考えてよいと思います。

3~4ppmはエーテルやアルコール、ハロアルカンの範囲であり、また、4.5~6ppmはアルケンの範囲となるので、4.26ppmというだけでエステルと断定するのは少し早いかもしれません。

しかし、今回はC10H12O3のうち、上記までですでにC6H4、OH、CH3、CH2を使っていて、このシグナル自身がCH2であることを合わせると、残るのは「Cが1つとOが2つ」のみなので、これはもう、このメチレン基のとなりにエステルがあると考えて間違いありません。

よって、構造式中に「-COO-CH2-」を含むことがわかり、さらに上記のアルキル基の考察と合わせると、「-COO-CH2-CH2-CH3」まで決定することができます。

これは、このシグナルが t(トリプレット)であることとも合致します。

スペクトル解析の結果

以上より、未知化合物は「p 位の二置換ベンゼン」、「-OH」、「-COO-CH2-CH2-CH3」から成るとわかったので、その構造式は以下のようになります。

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