問 題
我が国の教育の歴史に関する記述A〜Dのうち,妥当なもののみを全て挙げているのはどれか。
A.1872(明治5 )年,我が国最初の統一的な近代学校制度を定めた「学制」が公布された。学区制をとり,全国を大学区・中学区・小学区に分けたほか,学校体系は,大学校・中学校・小学校の3 段階の単線型の体系とされた。
B.1879(明治12)年に,学制に代わる学校教育に関する基本法規として,フランスの教育制度に学んだ福沢諭吉が主となり「教育令」が制定された。小学校設置,就学の緩和を図ったが,中央集権的な方針をとった。
C.1890(明治23)年に発布された「教育勅語」は,日本教育の根本理念を示したものであり,森有礼が起草した。天皇を最高の存在とする国体に基づく教育理念を示しつつ,キリスト教的徳目を基本とする近代的倫理を取り入れた。
D.1941(昭和16)年に公布された「国民学校令」により,「皇国民錬成」の基調に沿って小学校の名が国民学校と改称され,初等教育組織が再編された。教科も国民科,理数科,体錬科などの 5 科に編制された。
1.B
2.C
3.A,B
4.A,D
5.C,D
解 説
記述 A は妥当です。
1872 年、フランスにならい全国を 8 大学区に分けました。国民皆学、実学重視が説かれました。
記述 B ですが
学制に代わる教育令を制定したのは「田中不二麿」です。福沢諭吉ではありません。ちなみに「中央集権的な方針」は妥当です。記述 B は誤りです。
記述 C ですが
森有礼は「学校令」を公布しました。(参考 H26no32) 。教育勅語を起草したのは元田永孚、井上毅ら です。「森有礼」ではありません。また、教育勅語は忠君愛国や「儒教的道徳思想」を強調したものでした。「キリスト教的」ではありません。記述 C は誤りです。
記述 D は妥当です。
以上より、妥当な記述は A,D です。正解は 4 です。
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