公務員試験 H26年 法務省専門職員 No.32解説

 問 題     

明治期に公布された「学制」に関する記述として最も妥当なのはどれか。

1. 井上毅や元田永孚らが起草し、明治天皇が下付したものであり、当時の日本の教育の基本理念を提示し、国民道徳の面から近代国家体制を支える役割を果たした。これは当時の学校教育のカリキュラム編成の基本原理ともなり、教育行政に大きな影響を与えた。

2. 全国を複数の大学区、中学区、小学区に区分し、それぞれの学区に大学校、中学校、小学校を1校ずつ設置するというものであり、国民皆学を理念とし、とりわけ小学校の普及に力が注がれた。しかし、多額の学費を徴収していたこと、教育内容が庶民生活とかい離していたことなどから、公布から10年が経過する前に廃止された。

3. これによって、それまでの尋常小学校と高等小学校が統合され、国民学校と改称された。国民学校では、従来の小学校の教科が大きく再編成され、国民科、理数科、体操科、芸能科及び実業科の5教科が設けられた。

4. 田中不二麿らが中心となって起草したものであり、集権的・画一的な教育制度の樹立を目指すものであった。これによって、当初4年とされていた小学校の修学年限が8年まで延長され、小学校の設置主体は町村単位から県単位に移管された。

5. 小学校令、中学校令、帝国学校令及び師範学校令の総称であり、初代文部大臣である森有礼の教育政策に依拠して制定された。これによって近代的な学校体系が確立し、小学校は、4年ずつの尋常小学校と高等小学校に分けられ、前者が義務教育とされた。

 

 

 

 

 

正解 (2)

 解 説     

選択肢 1 ですが
井上馨らが起草したのは「教育勅語」です。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 は妥当な記述です。

選択肢 3 ですが
「国民学校」という名称が用いられるのは、1941 年からです。明治期の学制によるものではありません。ちなみに 1947 年 4/1 の学制改革により国民学校は廃止されます。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 ですが
田中不二麿が中心となり起草したのは「教育令」です。1872 年学制公布→1879 年学制廃止、教育令公布 という流れです。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが
初代文部大臣森有礼(もりありのり)が制定したのは、各種学校「令」です。「学制」ではありません。よって、選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 2 です。

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