公務員試験 H27年 国家一般職(行政) No.54解説

 問 題     

我が国の経済外交に関する次の記述のうち、妥当なのはどれか。

1. 第一次世界大戦後、幣原喜重郎外相は、戦後不況にあえぐ我が国にとって、輸出市場として米国だけでなく中国にも注目して、通商貿易関係を拡大しようとした。しかし、1925 年に開催された北京関税特別会議で中国が関税自主権の回復を求めたのに対して、欧米諸国がそれを容認する中、我が国は一貫して反対の姿勢を貫き、結局、対中国輸出は我が国の全輸出額の5% にも満たない状況が続いた。

2. 第二次世界大戦後、我が国は、国際通貨基金 (IMF)・関税と貿易に関する一般協定 (GATT) 体制の正式メンバーになることを目指した。しかし、我が国の GATT 加入については、1930 年代に我が国との経済摩擦を経験した英国など西ヨーロッパ諸国だけでなく、米国も反対を続けた。ようやく、ケネディ政権が方針を転換した結果、1964 年に我が国の GATT 加入は実現した。

3. 1970 年代に入り、ニクソン・ショック (ドル危機) や第一次石油危機などの諸問題に直面した先進国の間では、世界経済問題 (マクロ経済、通貨、貿易、エネルギーなど) をめぐる政策協調について首脳レベルで総合的に議論する場が必要であるとの認識が生まれた。このような背景の下,ジスカール・デスタン仏大統領の提案により、1975 年 11 月、日米英仏独伊の6か国による第一回首脳会議 (サミット) が開催された。

4. GATT 加入後、我が国は多角的自由貿易体制の下で、各国の関税引下げを図り、日本製品の輸出促進につなげて、貿易を通じた経済的繁栄を実現した。そのため、GATT 及びその後継の世界貿易機関 (WTO) を重視する立場から、特定国との間で経済連携協定 (EPA) を締結することには慎重な姿勢をとり、2010 年にようやく、メキシコとの間で、初の EPA 締結に踏み切った。

5. 我が国と欧州連合 (EU) は、EPA 締結を目指して、2011 年の定期首脳協議で交渉の大枠を定めるスコーピング作業の開始に合意し、その2年後には正式交渉を開始する予定だった。ところが、我が国の規制緩和が進まないことに抗議した EU が、2013 年3月に開催予定だった日 EU 定期首脳協議を一方的にキャンセルしたため、我が国は EU との EPA  交渉を開始しない決定を下した。

 

 

 

 

 

正解 (3)

 解 説     

選択肢 1 ですが
幣原喜重郎は、外務大臣として 1920 年代に「協調外交」を推進しました。中国の関税自主権の回復に積極的な立場をとりました。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
日本が GATT に加入したのは 1955 年です。また、米国は日本加盟を後押ししました。「米国も反対を続けた」わけではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 は妥当です。
首脳会議(サミット)についての記述です。

選択肢 4 ですが
日本は 2002 年に初めてシンガポールと EPA を締結しました。ちなみに、メキシコとは 2005 年に締結しています。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが
日本・EU 間の EPA については、2011 年に「交渉のためのプロセス開始」が合意され、2013 年 4 月に第 1 回会合が開かれ、交渉が開始しました。一方的キャンセルといった事実は見られません。その後、2018 年 7 月に協定の署名が行われました。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 3 です。

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