公務員試験 H27年 国家一般職(行政) No.55解説

 問 題     

冷戦期の国際関係に関する次の記述のうち、妥当なのはどれか。

1. 1947 年、ソ連は東欧諸国の経済復興への大規模援助を行う相互安全保障法による援助 (MSA) を表明するとともに、ヨーロッパ各国の共産党間の情報交換と活動の調整を行い、連携を強化するための機関として共産党・労働党情報局 (コミンフォルム) を結成した。

2. 1949 年1月に米国を始めとする 12 か国によって、集団安全保障機関としての北大西洋条約機構(NATO) が設立されると、同年4月、ソ連と東欧諸国は軍事同盟 (COMECON) を設立し、軍事面における結束を図って西側陣営に対抗した。

3. 1962 年のキューバ危機の翌年、米ソは部分的核実験禁止条約 (PTBT) を共同提案した。これは、合法的な核保有国の数を、その時までに核保有を宣言していた5か国に限定しようとするもので、同年締結され、米国、ソ連、英国、フランス、中国の5か国の参加で始まった。

4. 1968 年、チェコスロバキアのプラハの春と呼ばれる改革運動に対して、ソ連は、社会主義諸国全体の利益と安全は一つの社会主義国の主権に優越するという主張を展開し、軍事介入を行おうとしたが、米国との緊張関係や世界的な反戦平和運動もあり、軍事介入は回避された。

5. 1985 年にソ連共産党書記長となったゴルバチョフが、国内で社会全般にわたる斬新な改革 (ペレストロイカ) を進め、新思考外交を展開するようになると、レーガン政権も核軍備管理、核軍縮のための交渉に応じ、1987 年、米ソ間で中距離核戦力 (INF) 全廃条約が締結された。

 

 

 

 

 

正解 (5)

 解 説     

選択肢 1 ですが
相互安全保障法は、1951 年アメリカで制定された、被援助国に防衛義務を負わせる法律です。この法律により、マーシャル・プランは終了し、役割を引継ぎました。冷戦における米国側の法律であり、ソ連側の法律ではありません。ちなみに、コミンフォルムについては妥当です。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
ソ連や東欧の NATO 対抗組織といえばワルシャワ条約機構です。COMECON は、マーシャル・プランに対抗した経済協力期間です。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが
部分的核実験禁止条約は、地下実験を除く核実験の禁止条約です。モスクワで、アメリカ、イギリス、ソ連の3国間で調印されました。一方、米ソ主導で進められた条約に反発し、フランスと中国は条約に参加しませんでした。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 ですが
プラハの春の鎮圧のため、チェコ事件と呼ばれるソ連の軍事介入が起きました。「軍事介入は回避された」わけではありません。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 は妥当です。
ゴルバチョフ書記長、レーガン政権時代の中距離核戦力全廃条約等についての記述です。 

以上より、正解は 5 です。

コメント