公務員試験 2019年 国家一般職(行政) No.52解説

 問 題     

外交史に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。

1.30 年戦争を終結させることとなった1648 年のユトレヒト条約は,150 名以上の外交使節が集まって締結したもので,領土,帝国の国制,宗教に関わる規定から成る。さらに19 世紀初頭のウェストファリア講和条約によって,諸国の相互承認によって成り立つ国際秩序が進展した。

2.クリミア戦争が終結した後,戦争に関わった諸国はウィーンに集まり,戦後秩序を話し合った。そこで定められたオーストリア,英国,スペイン,ロシア等の大国間の協調を基本方針にした国際秩序は,ウィーン体制と呼ばれた。

3.民族自決や集団安全保障を唱えた14 か条の戦後構想を提唱した米国大統領W.ウィルソンの影響によって成立した国際秩序は,ヴェルサイユ体制とも呼ばれる。それは秘密外交を否定する新しい外交の時代の幕開けでもあった。

4.1945 年に米国,英国,ソ連,中国,フランスの五か国の首脳は,ヤルタ,続いてポツダムで会談し,戦争終盤での作戦協力と戦後処理の構想について話し合った。ヤルタ会談ではソ連の対日参戦が決定されるとともに,日本に降伏を勧告する共同宣言が発せられた。

5.1981 年に米国の大統領に就任したR.レーガンは,大きな政府と強い米国,そして反共主義を標榜して,大規模な軍備拡張を主導した。宇宙・軍事技術で米国に遅れていたソ連は,1985 年にM.ゴルバチョフが共産党書記長に就任すると,米国との軍備拡張競争を激化させた。

 

 

 

 

 

正解 (3)

 解 説     

選択肢 1 ですが
30 年戦争を終結させたのは、ウェストファリア条約です。(参考 教養 H28no35)。ユトレヒト条約は、1713 年、スペイン継承戦争・アン女王戦争の講和条約です。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
1814-15 年のウィーン会議以降がウィーン体制です。そして、この体制の最後がクリミア戦争です。流れが違います。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 は妥当です。
ヴェルサイユ体制に関する記述です。

選択肢 4 ですが
日本へ降伏勧告したのは、ポツダム共同宣言です。ドイツのポツダム会談を経て、共同宣言が発せられました。「ヤルタ会談で、日本に降伏を勧告する共同宣言が発せられた」わけではありません。ちなみにヤルタ会談は、第二次世界大戦の末期、1945 年 2 月に開催されたアメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳による戦後処理に関する会談です。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが
レーガン大統領は、強い米国、「小さな政府」を標榜しました。「大きな政府」ではありません。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 3 です。

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