公務員試験 H29年 国家一般職(行政) No.53解説

 問 題     

第二次世界大戦以後の歴史に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。

1.冷戦期の世界では,米ソの間の全面対立は回避されたが,ヨーロッパの新興独立諸国を中心にした地域では,米ソが政府や反政府勢力に支援し合う形の代理戦争が多発した。同様に,アジアでも朝鮮戦争や中印国境紛争が起こった。

2.1962 年にソ連がベルリンに中距離核ミサイル基地の建設を始めたことから,米ソ間の緊張が高まり,核戦争の危機が訪れた。陸路の封鎖で対抗する米国にソ連が譲歩して建設が中止された後,両国の首脳間にホットラインが結ばれるなどの措置が採られた。

3.米国の R.ニクソン大統領は,1971 年,中国を訪問することを発表し,翌年 2 月に訪中した。この米中和解の背景には,中ソ対立やベトナム戦争終結に向けた動きがあった。日本からも 1972 年 9 月に田中角栄首相が訪中し,1978 年に日中平和友好条約が締結された。

4.1985 年にソ連共産党書記長に就任した M.ゴルバチョフは,ペレストロイカと呼ばれた弾圧政策を導入してソ連の建て直しを図る一方,米国との間では核軍縮などを進めた。しかし,1989 年のビロード革命により東欧で次々と共産主義政権が倒れた後,ソ連も 1991 年に分裂した。

5.2001 年 9 月 11 日に米国のニューヨークとワシントン D.C.で発生したテロ事件は,米国によるテロ勢力の駆逐を目指したソマリア侵攻に発展した。2009 年のイラク戦争などを含めたその後の一連の事件を「テロとの戦い」と総称することもある。

 

 

 

 

 

正解 (3)

 解 説     

選択肢 1 ですが
第二次世界大戦後の「新興国」といえば、アジア・アフリカの国です。ヨーロッパにおける冷戦期衝突地域といえば、東西ドイツと考えられます。また、アジアにおける朝鮮戦争は妥当な記述ですが、中印国境紛争は、冷戦構造の代理戦争というわけではありません。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
1962 年、ミサイル基地建設とくれば「キューバ危機」に関する記述です。キューバにソ連がミサイル基地建設中であることを知ったアメリカがキューバ周囲を海上封鎖し、米ソ間の緊張が高まりました。「ベルリンにミサイル基地建設」ではありません。緊張緩和後、両国首脳間ホットラインが結ばれました。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 は妥当です。
1970 年代の米中、日中関係における大きな動きについての記述です。

選択肢 4 ですが
ペレストロイカは、ゴルバチョフが進めた大規模な改革のスローガンです。「立て直し」という意味です。具体的には、市場経済導入による経済再建や、政治の民主化を目指しました。「弾圧政策」ではありません。

選択肢 5 ですが
2001.9.11 のテロ事件が「ソマリア侵攻に発展した」わけではありません。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 3 です。

コメント