公務員試験 H28年 国家専門職(教養) No.34解説

 問 題     

鎌倉時代から江戸時代初期までの朝廷と武家との関係に関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.源頼朝の死後,将軍の後継者をめぐる兄の頼家と弟の実朝との争いによって鎌倉幕府が分裂すると,後鳥羽上皇は幕府打倒を目指し承久の乱を起こした。しかし,執権の北条氏らは,乱を短期間のうちに鎮圧し,幕府はこの後,侍所,問注所などの機関を設置し勢力基盤を強化していった。

2.後醍醐天皇は,公家と武家とを統一した新しい政治を目指して建武の新政を開始し,京都に記録所などの諸機関を置くとともに地方には国司と守護を併置した。しかし,新政権の人事,恩賞の配分,所領紛争の裁定などにおいて公家偏重の方針がとられたため多くの武士の不満を引き起こした。

3.室町時代の初期には,吉野の南朝と京都の北朝との間で天皇の地位をめぐる争いが激化したため,幕府の調停によって南朝と北朝が交互に皇位に就くという,いわゆる両統迭てつ立の状況となった。その後,将軍足利義政は,南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位する形で南北朝の合一を実現させた。

4.天下統一を目指した織田信長は,足利義昭を追放して室町幕府を滅ぼした。一方,自らの権威を確立するために朝廷に接近し関白や太政大臣に任ぜられるとともに,後陽成天皇を招いて,配下の諸大名に天皇と信長に対して忠誠を誓わせるなどした。

5.江戸時代の初期,徳川家康は朝廷を監視するため京都守護職を設置するとともに,大名の中から武家伝奏を任命して朝廷と幕府の間の連絡役とした。さらに,家康は禁中並公家諸法度を制定して天皇の生活にまで規制を加えるとともに,朝廷の経済的基盤を弱体化させるために天皇の支配地である禁裏御料を没収するなどした。

 

 

 

 

 

正解 (2)

 解 説     

選択肢 1 ですが、源頼家は、源頼朝の「息子」です。兄ではありません。また、承久の乱後、幕府が設置したのは六波羅探題です。よって、選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 は、妥当な記述です。

選択肢 3 ですが、南北朝の統一は、3 代将軍 足利義満 の仲介により実現しました。「義政」ではありません。よって、選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 ですが、関白や太政大臣に任ぜられたのは、豊臣秀吉です。織田信長ではありません。よって、選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが、禁中並公家諸法度は、2 代将軍秀忠が発令したものです。家康ではありません。よって、選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 2 です。

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