問 題
我が国における一揆や反乱等に関する記述として最も妥当なのはどれか。
- 平安時代中期関東で勢力を伸ばしていた平将門が朝廷に対して挙兵し関東の大半を征服し,自ら新皇と称した。一時は京都付近まで攻め上ったが朝廷は伊予を本拠地とし瀬戸内海の海賊を支配下においていた藤原純友の協力を得て平将門を討伐した。
- 室町時代貨幣経済の進展によって金融業を営む土倉などが増加した。これらに対し幕府や荘園領主は収入を増やす目的で重税を課した。応仁の乱の後に京都で発生した正長の土一揆はこうした課税に反対した土倉が起こしたものである。
- 江戸時代初期凶作と飢饉をきっかけにキリスト教の信徒を中心とする島原・天草一揆(島原の乱)が起きた。幕府は両地方の領主であったキリシタン大名の支援を受けた信徒たちと戦い,和睦したがこの後幕府はキリスト教を禁止し取締りを強化した。
- 明治維新後秩禄処分や廃刀令などによって士族は特権を失い政府の政策に対する不満が高まっていた。征韓論争に敗れて参議を辞職した西郷隆盛が鹿児島で兵を挙げると九州各地の士族が加わり戦闘は半年以上に及んだ。
- 昭和初期浜口雄幸首相は協調外交路線を採りロンドン海軍軍縮会議に参加し海軍の補助艦艇の制限に関する条約に調印した。二・二六事件は天皇の統帥権を侵すものとしてこの条約に反対する青年将校らが首相官邸を襲い浜口首相を射殺したものである。
正解 (4)
解 説
選択肢 1 ですが、「平将門の乱」についての記述です。「藤原純友」は、時をほぼ同じくして、海賊を率い反乱を起こした人です。合わせて「承平天慶の乱」と呼ばれます。これらの乱を武士が鎮圧する事で、武士が力を持っていく流れです。従って、「・・・藤原純友の協力を」という記述は明らかに誤りです。
選択肢 2 ですが、「正長の土一揆」は、室町中期、凶作・流行病などで借金苦に耐えかねた農民たちが初めて起こした一揆です。土倉たちは、おそわれた側です。よって、選択肢 2 は誤りです。
選択肢 3 ですが、島原の乱は、領主による圧政、キリシタン迫害が続く中、飢饉をきっかけとしておきた日本史上最大規模の一揆です。従って「領主の支援を受けた・・・」というのは、明らかに誤りです。
選択肢 4 は、妥当な記述です。西南戦争についてです。
選択肢 5 ですが、二・二六事件は 1936 年のクーデター未遂です。「首相」を「射殺」した事件ではありません。
以上より、正解は 4 です。
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