過去問 2019年 国家一般職(高卒 基礎)No.28解説

 問 題     

第二次世界大戦後の我が国の経済に関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.1950 年代前半,第一次中東戦争に伴い,物資の補給などの大量の需要(特需)がもたらされ,我が国の景気は一挙に回復し,1950 年代後半には国民総生産(GNP)が世界第2 位となった。

2.1960 年代後半,経済の実態に合わない変動為替相場制は不公平だとの批判が国際社会で高まり,我が国は,シャウプ勧告に基づき,固定為替相場制に移行した。

3.1970 年代前半,湾岸戦争の勃発を契機とする原油価格の高騰は,激しいデフレーションを引き起こし,国民生活に大きな打撃を与えた。

4.1980 年代半ば,自動車産業などで米国との経済摩擦が強まる中,先進5 か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)で,ドル高を是正するプラザ合意が結ばれ,円高が急速に進んだ。

5.2000 年代初頭,リーマン・ショックを契機に,我が国では,株価や地価が大幅に下落してバブルが崩壊し,第二次世界大戦後初のマイナスの経済成長率を記録した。

 

 

 

 

 

正解 (4)

 解 説     

選択肢 1 ですが
1950 年代前半の特需は、1950 年の朝鮮戦争が契機です。第一次中東戦争に伴い、ではありません。選択肢 1 は誤りです。ちなみに、世界第2位の国民総生産となったのは、1968 年です。

選択肢 2 ですが
第二次世界大戦後、GHQ の財政顧問ドッジによる財政政策であるドッジラインを、税制面から裏付ける勧告がシャウプ勧告です。ドッジラインの目的は物価安定で、固定為替相場制を採用していました。その後、1973 年、変動為替相場へと移行します。つまり、固定為替相場 → 変動為替相場 へと移行しています。固定為替相場に移行、ではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが
原油価格の高騰であれば、インフレーションと考えられます。デフレーションとは、通貨に比べて商品の量が多いため、物価が下がる状態のことです。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 は妥当です。
プラザ合意に関する記述です。

選択肢 5 ですが
戦後初のマイナス成長は、第4次中東戦争をきっかけとした、第1次オイルショックを受けた 1974 年に記録されました。2000 年代初頭では、ありません。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 4 です。

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