過去問 2019年 国家一般職(高卒 基礎)No.26解説

 問 題     

17 世紀から19 世紀にかけてのフランスに関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.ルイ 14 世は,王権神授説に従い,「君臨すれども統治せず」と称し,コルベールを首相に任命して立憲君主政を実現させ,メートル法の普及やフランス語の統一に取り組んだ。

2.フランス人権宣言は,基本的人権,国民主権,積極的平和主義を内容としており,これを受けて,パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃し,フランス革命が始まった。

3.ナポレオン=ボナパルトは,英国による大陸封鎖令に対抗するため出兵し,ロンドンを一時占領したものの,厳しい寒さのために撤兵を余儀なくされた。

4.ナポレオン 3 世は,産業革命を推進し,パリ市街の改造や社会政策に取り組んだが,普仏戦争でプロイセン軍に敗れ,捕虜となった。

5.普仏戦争での敗北により,フランスは,ルイジアナ,アルジェリア,マダガスカル島などの海外植民地を失い,その後,第三共和政の下での経済の低迷が続いた。

 

 

 

 

 

正解 (4)

 解 説     

選択肢 1 ですが
ルイ 14 世は、フランス絶対王政全盛期の国王です。「君臨すれども統治せず」とは、18C 以後、イギリスにおいて、王が政治関与しなくなったことを象徴する言葉です。ルイ 14 世は「朕は国家なり」という言葉を残したとされており、権力を握り、侵略戦争などを進めていきました。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
国王の専制 → バスティーユ牢獄襲撃 → 事態収拾のため、封建的特権の廃止→人権宣言の採択 という流れです。人権宣言を受けて、バスティーユ牢獄襲撃という流れではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが
ナポレオン率いるフランス海軍が、ネルソン率いるイギリス艦隊に、トラファルガーの海戦で破れ、対英上陸を断念 → 大陸制覇へ方針転換 → ヨーロッパの征服地に対して出した、英国との貿易禁止令が 大陸封鎖令です。英国による大陸封鎖令 ではありません。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 は妥当です。
ナポレオン3世についての記述です。

選択肢 5 ですが
普仏戦争の結果、フランスは アルザス・ロレーヌ地方の割譲と、巨額賠償金支払いをしました。ルイジアナなどの海外植民地を失ったわけではありません。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 4 です。

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