過去問 H30年 国家一般職(高卒 基礎)No.27解説

 問 題     

第二次世界大戦後の西アジア・南アジアに関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.インドでは,東西両陣営から自立する動きが現れた。その後,国民会議派のネルーと毛沢東中国国家主席による平和五原則が発表され,インドは英国から独立した。

2.トルコでは,スルタンの独裁に反対する青年将校たちの反乱により,オスマン帝国のスルタン制が廃止され,トルコ共和国が成立した。

3.パレスチナでは,パレスチナ難民が結成したパレスチナ解放機構(PLO)が中心となり,イスラエルを建国した。

4.アフガニスタンでは,社会主義勢力に対抗するため米軍が侵攻したが,ソ連がアフガニスタン政府を支援したため,米軍は間もなく撤退した。

5.イラクが石油資源の確保を狙ってクウェートを占領すると,湾岸戦争が起こり,米国を中心とする多国籍軍がイラク軍を撤退させた。

 

 

 

 

 

正解 (5)

 解 説     

選択肢 1 ですが
1954 年に発表された平和五原則は、ネルー・周恩来会談でまとめられた、平和的共存、内政不干渉などからなる、5つの外交原則です。「毛沢東」ではありません。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
スルタンとは、オスマン帝国君主です。1922 年、トルコ大国民議会決議によりスルタンが廃位され、オスマン帝国は滅亡しました。その後 1923 年トルコ共和国樹立です。これらは「第一次世界大戦後」です。「第二次世界大戦後」ではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが
パレスチナ解放機構 (PLO) は、 イスラエルからの、パレスチナ独立を目的に設立された、パレスチナ人の政治的統合機関です。「PLO が中心となり、イスラエルを建国した」わけではありません。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 ですが
1979 年 アフガニスタン侵攻は「ソ連によるアフガニスタンへの軍事介入」です。国内親ソ派勢力のクーデターに乗じ、ソ連軍が全土制圧しました。結果、米ソ関係が急激に悪化しました。「社会主義勢力に対抗するため米軍が侵攻」ではありません。ちなみに、米国がアフガニスタンに侵攻したのは、2001 年から始まった「アフガニスタン紛争」です。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 は妥当です。
湾岸戦争についての記述です。

以上より、正解は 5 です。

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