公務員試験 H27年 国家一般職(高卒 基礎) No.28解説

 問 題     

我が国における政治史に関する記述として最も妥当なのはどれか。

  1. 中大兄皇子は蘇我氏を滅ぼした後唐の律令制を基に天皇中心の国家の設立を目指して荘園公領制の導入や六波羅探題の設置を始めとする大化の改新と呼ばれる一連の政治改革を行った。
  2. 源頼朝は鎌倉を本拠として御家人を統率する侍所財政を司る公文所(政所) 訴訟を扱う問注所を設けた。また壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした後守護・地頭を置いて武家政権の体制を整えた。
  3. 徳川家康は豊臣氏を滅ぼした後江戸幕府を開いた。家康は将軍とその監視下で自立してそれぞれの領地を治める大名によって全国を統治する俸禄制度を築き武家諸法度を制定して大名に参勤交代や農民に対する刀狩を義務付けた。
  4. 薩摩藩と長州藩の倒幕派は五箇条の誓文を発して新政府を樹立した。これに対して挙兵した旧幕府派は戊辰戦争で大敗を喫し新政府によって徳川慶喜は処刑され王政復古の大号令が出された。
  5. 第二次世界大戦での敗戦後連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって日本の直接統治が行われた。日本国憲法は米国による事実上の単独統治を経てサンフランシスコ講和条約の発効後公布・施行された。

 

 

 

 

 

正解 (2)

 解 説     

選択肢 1 ですが、「六波羅探題」は 1221 承久の乱の後、幕府による朝廷、西方監視のために置いた機関です。明らかに時代が違います。よって、選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 は妥当な記述です。

選択肢 3 ですが、家康が武家諸法度を制定 ではありません。原則として将軍代替わりごとに発令され、最初は2代秀忠の元和令です。よって、選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 ですが、薩長倒幕派が発したのは「王政復古の大号令」です。これで江戸幕府が滅亡します。その後の明治政府の基本方針として発布されたのが「五箇条の御誓文」です。また、戊辰戦争後、徳川慶喜は江戸に逃れ、江戸城無血開城が行われます。その後慶喜は隠居するので処刑されてはいません。よって、選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが、GHQによる統治は「間接統治」です。直接統治ではありません。また、サンフランシスコ講和条約は 1951-52 年です。日本国憲法の公布、施行は 1946-1947 です。よって、選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 2 です。

コメント