公務員試験 H27年 国家一般職(行政) No.51解説

 問 題     

国際政治の歴史に関する次の記述のうち、妥当なのはどれか。

1. 16 世紀の J.ボダンや 17 世紀の T. ホッブズは、戦争が慢性化していた時代に、帝国支配による秩序を構築するために、国家主権を理論化した。1648 年のウェストファリア条約においても,主権原則は、神聖ローマ帝国の支配を継続するために用いられ、戦争状態を恒常化させる効果を持った。

2. 18 世紀初頭のスペイン王位継承戦争では、英国やオランダと同盟を組んだフランス (ブルボン家) によるヨーロッパ支配の野心はくじかれ、神聖ローマ帝国 (ハプスブルク家) が勝利を収めた。その終結に向けて締結されたユトレヒト条約 (1713年) では、帝国支配が再び正当化され、勢力均衡 (バランス・オブ・パワー) の維持という目的はまだ明記されていなかった。

3. 18 世紀後半のアメリカ独立革命やフランス革命は、民衆による自由の獲得という思想 (ナショナリズム) をヨーロッパに広めた。したがって、1814~1815 年のウィーン会議では、英国、フランス、ロシア、オーストリアなどの大国が「ヨーロッパ協調」の理念の下、君主主権から人民主権への転換の必要性を共有して、ヨーロッパ各地における革命運動を支援することになった。

4. 18~19 世紀を通じて、米国など、西半球を中心にヨーロッパ人の入植地において主権国家体制が徐々に拡散していった。大英帝国内の白人植民地 (カナダ、オーストラリアなど) も自治領となり、外交においても自律性を持った。アジア・アフリカにおいても、ヨーロッパ諸国は自らの文明的優越を主張することはなく、19 世紀中頃以降、中国、トルコ、我が国、タイなどとの間で、主権平等の原則に基づく国際条約を締結していった。

5. 19 世紀の末には国家間紛争を司法的解決に委ねる仲裁裁判条約締結の機運が強まっていた。そのような中、ヨーロッパ諸国だけでなく米国や我が国も参加して、二度にわたって開催されたハーグ平和会議において、常設仲裁裁判所の設置が合意された。この会議では、非人道的な兵器とされたダムダム弾の使用禁止宣言や、捕虜の人道的扱いを定めたハーグ陸戦条約なども採択された。

 

 

 

 

 

正解 (5)

 解 説     

選択肢 1 ですが
前半部分は妥当です。国家主権の理論化についてです。後半部分ですが、ウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国は実質的に支配権力としての地位を失いました。これにより、ウェストファリア条約は「神聖ローマ帝国の死亡証明書」と呼ばれます。「神聖ローマ帝国の支配を継続するために用いられた」わけではありません。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
スペイン王位継承戦争は、ルイ 14 世のフランス VS オーストリア・英国・オランダ連合の戦いです。「英国やオランダと同盟を組んだフランス」ではありません。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが
フランス革命、ナポレオン戦争で疲弊したヨーロッパは、「会議は踊る。されど、進まず」と表現された、各国の利害がぶつかりあい長期化するウィーン会議において、大国による「勢力均衡」と、フランスのタレーランが唱えた「正統主義」を基本原則としました。正統主義は、「革命前の、元に戻ろう」という、従来の君主制に立脚した考え方です。自由主義・国民主義に対しては抑圧的です。ウィーン会議以降、1848 年革命からのクリミア戦争まで、比較的長期安定の基盤となりました。「君主主権から人民主権への転換の必要性を共有した」わけではありませんでした。選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 ですが
不平等条約が結ばれた歴史から、明らかに後半が誤りです。不平等条約の一例として、イギリスと清におけるアヘン戦争後結ばれた南京条約があげられます。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 は妥当です。
ハーグ会議についての記述です。二度のハーグ会議を通じて、毒ガスやダムダム弾使用禁止等が宣言されました。

以上より、正解は 5 です。

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