公務員試験 H25年 国家専門職(教養) No.34解説

 問 題     

我が国における交通の歴史に関する記述として最も妥当なのはどれか。

  1. 平安時代には、律令体制が整い、全国が畿内・七道という広域の行政区画に区分された。七道は京から地方に通ずる官道の名称でもあり、駅家(うまや)を設けて官吏の往来などに利用された。官道の整備に伴い、諸国に国分寺や国分尼寺が建立され、門前町が形成された。
  2. 鎌倉時代には、荘園領主や大寺社が存在する京や武士が集まる鎌倉に諸物資が集中した。そのため、道路網の整備が進んだが、当時は造船技術が未熟であったため、海上交通や河川交通はほとんど用いられていなかった。
  3. 室町時代には、明との盛んな交易に触発され全国的な交通網が発展し、地方でも港町や宿場町が繁栄した。しかし応仁の乱の後、各地に登場した戦国大名は、関所を設けたり座と呼ばれる同業組合を結成させたりして交通や物流の統制を強化したため、博多や堺などの港町は衰退した。
  4. 江戸時代には、江戸の日本橋を起点とする、東海道や中山道などの五街道を中心とした交通路が整備された。大量の物資の輸送には水上交通が利用され、江戸と大坂を結ぶ航路には菱垣廻船や樽廻船が就航した。また、河村瑞賢によって東廻り航路と西廻り航路が整備された。
  5. 明治時代には、政府によって交通機関の整備が進められ、明治年に大阪と京都の間に我が国で初めての鉄道が開通した。その後、官営鉄道として東海道線、山陽線、東北線などの建設が進められたが、後に官営工場の払下げが本格化した際に、これらの路線は民営化された。

 

 

 

 

 

正解 (4)

 解 説     

選択肢 1 ですが、大宝律令が 701 年です。律令体制が整い、畿内・七道に区分されたというのは、飛鳥~奈良時代についての記述です。また、諸国に国分寺、国分尼寺が建立されたのは、奈良中期、聖武天皇により、国家鎮護のためです。平安時代ではありません。よって、選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが、これは鎌倉時代より前の時代でも遣唐使や遣隋使があったことを連想すれば、当時の造船技術が未熟で、海上交通や河川交通が「ほとんど用いられていなかった」は言い過ぎと判断できるのではないでしょうか。選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが、座は平安時代から存在した同業組合です。また、堺は、遣明船発着港として、博多は国際的商人の拠点として、共に発展をとげました。よって、選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 は、妥当な記述です。

選択肢 5 ですが、「初めての鉄道」と来れば「新橋ー横浜」間です。大阪ー京都ではありません。よって、選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 4 です。

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