公務員試験 H24年 国家専門職(教養) No.34解説

 問 題     

我が国における奈良時代から江戸時代の政治に関する記述として最も妥当なのはどれか。

  1. 奈良時代には氏姓制度と呼ばれる仕組みの下で有力な豪族の中から大臣や大連が任命され中央の政治を司った。また藤原鎌足らによって大宝律令が制定され刑罰や行政組織に関する規定が整備された。
  2. 平安時代初期桓武天皇は政治改革を行い神祇官と太政官を新たに設置し太政官の下で式部省などの八省が政務を分担することとなった。また荘園の増加が国衙領を圧迫しているとして,延久の荘園整理令を出した。
  3. 鎌倉時代初期鎌倉幕府は源頼朝の支配体制を有力御家人が補佐する体制であった。その後蒙古襲来によって幕府の勢力が衰退する中六波羅探題が新たに設置され統治体制が強化されたものの執権の北条氏の勢力は衰えた。
  4. 室町時代には三代将軍足利義満の時に南北朝の合体が実現した。また室町幕府の機構についてみると将軍を補佐する中心的な職である管領が足利氏一門の斯波細川畠山の三氏から任命され侍所政所などの中央諸機関を統轄した。
  5. 江戸時代には将軍の下に老中がおかれて政務を統轄した。また老中を補佐する大目付や諸大名を監察する若年寄がおかれたほか参勤交代などを義務付ける棄捐令が発せられ幕府は諸大名にその遵守を厳命した。

 

 

 

 

 

正解 (4)

 解 説     

選択肢 1 ですが、奈良時代(710~)は、律令制度の時代です。氏姓(うじ、かばね)制度はヤマト政権における政治・社会制度です。氏が血縁中心の同族集団、姓が大王が授けた家柄や地位を示す称号です。また、大宝律令の制定は藤原不比等らの編纂です。よって、選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが、桓武天皇は平安時代初期の天皇です。長岡京、平安京遷都を行いました。神祇官や太政官は、律令制度の一部です。また、延久の荘園整理令を出したのは、後三条天皇です。よって、選択肢 2 は誤りです。

選択肢 3 ですが、六波羅探題は、朝廷の監視と西国の御家人統制のため設けられた役職です。承久の乱の後に設置されました。蒙古襲来の後ではありません。よって、選択肢 3 は誤りです。

選択肢 4 は、妥当な記述です。

選択肢 5 ですが、棄捐令(きえんれい)は、寛政の改革における、旗本・御家人救済政策です。参勤交代などを義務付けるものではありません。よって、選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 4 です。

コメント