問 題
江戸時代以降の我が国における教育に関する ア~エ の記述のうち,妥当なもののみを全て挙げているのはどれか。
ア.寺子屋は,18 世紀以降に普及した民間の教育機関で,武士,僧侶,神官,医者などが師匠となり,主に庶民の子弟を生徒(寺子)として,読み・書き・算といった初歩教育を行った。ただし,寺子屋の師匠は男性に限られ,寺子も男児に限られていた。
イ.藩校は,江戸時代から廃藩置県までの間に,諸藩が藩士の教育のために設立した教育機関である。藩校では,藩士の全てを入学させることが前提とされ,儒学を基本とする漢学の学習や,武芸の修練などが行われた。
ウ.18 世紀半ば以降,読み書き教育の大衆化や出版業の隆盛によって,庶民が文字に親しむ機会が増えた。また,俳句は,当時の代表的な文字文化として庶民に広く普及し,俳句の結社が各地に生まれて句会を開いた。
エ.二宮尊徳は,幕末期に私塾の松下村塾を開き,平等主義的な思想に基づいて,幕末維新期に活躍した人材を多く育てた。また,彼の子である二宮金次郎は,幼少期から勉学に励んだことから近代の勤勉の象徴とされ,多くの学校の校庭に二宮金次郎像が建てられた。
1.ア,イ
2.ア,ウ
3.ア,エ
4.イ,ウ
5.ウ,エ
解 説
記述 ア ですが
師匠、寺子共に、男女限られていませんでした。記述 ア は誤りです。
記述 イ は妥当です。
藩校についての記述です。
記述 ウ は妥当です。
俳句等についての記述です。
記述 エ ですが
松下村塾を開いたのは吉田松陰です。松下村塾は、江戸時代末期(幕末)に、長州 松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾です。幕末~明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られています。二宮尊徳は、報徳仕法(勤労・倹約による事業法)で農村復興を説きました。記述 エ は誤りです。
以上より、正解は 4 です。
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