問 題
戦後日本の政党政治に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。
1.1955 年に,それまで左派と右派に分裂していた日本社会党が統一された。この動きに対抗して,同年に,保守政党の側でも日本民主党と自由党が合併し,自由民主党が結成された。国会における自由民主党と日本社会党の議席数の割合から,当時の政党システムは「1 か2 分の1 政党制」と称された。
2.1960 年代になると,自由民主党が国会における議席数を漸減させた一方,民主社会党(後に民社党と改称)や公明党といった中道政党が進出したことで,与党陣営の多党化が進んだ。他方この時期,日本社会党に対する支持は高まる傾向にあり,1970 年代には,国会における野党の議席数が,全体として与党の議席数と伯仲するようになった。
3.1960 年代から1970 年代にかけて,農村部の地方自治体を中心に,日本社会党や日本共産党に支援された革新系首長が次々に誕生した。こうした地方自治体は「革新自治体」と呼ばれる。多くの革新自治体では,老人医療費への補助が減額されるなど福祉政策の見直しが進められ,自治体財政の再建が実現された。
4.1980 年代には,バブル崩壊後の深刻な経済的停滞を背景として,多くの有権者が安定政権を志向するようになり,自由民主党の支持率が回復した。この現象を「保守回帰」という。1986 年の衆議院議員総選挙及び1989 年の参議院議員通常選挙に大勝した結果,自由民主党は衆参両院で総議席数の3 分の2 以上を占めるに至った。
5.1993 年に,消費税導入の是非を巡って,自由民主党が分裂し,新党が結成された。その直後に行われた衆議院議員総選挙の結果,自由民主党は衆議院の過半数の議席を確保できなかったため,自由民主党・日本新党・新党さきがけ三党の連立政権が組まれることとなった。新政権の首班には,新党さきがけ党首の細川護熙が就いた。
解 説
選択肢 1 は妥当です。
「1 か 2 分の1 政党制」とは、社会党が主たる革新=野党で、その議席数が自民党の半分であるという意味です。
選択肢 2 ですが
多党化が進んだのは「野党陣営」です。選択肢 2 は誤りです。
選択肢 3 ですが
革新自治体は、公害対策や福祉の充実などに力を入れました。「老人医療費への補助が減額されるなど福祉政策の見直しが進められた」わけではありません。選択肢 3 は誤りです。
選択肢 4 ですが
衆参両院で総議席数の3 分の2 以上を占めるに至ったことはありません。選択肢 4 は誤りです。
選択肢 5 ですが
細川護熙は日本新党代表です。「新党さきがけ」ではありません。選択肢 5 は誤りです。
以上より、正解は 1 です。
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