問 題
我が国の教育の歴史に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。
1.明治 5(1872)年に公布された「教育令」では,全国を 53,760 の小学区に分けて,一つの小学区に一つの小学校を置くことが定められた。その序文では,全ての人々が身分に応じて異なる教育を受けなければならないという考えが示された。
2.明治 19(1886)年に公布された小学校令(第一次小学校令)では,学齢期の児童には普通教育を受ける義務があると規定され,学齢期の児童の就学率は,明治 23(1890)年までに,男女共に9割を超えた。
3.明治 33(1900)年に改正された小学校令(第三次小学校令)では,原則として授業料が廃止され,義務教育の無償制が確立された。また,教科書採択をめぐる不正事件を受けて,明治 36(1903)年に,小学校では国定教科書を用いることが定められた。
4.昭和 16(1941)年には教育勅語が発布され,尋常小学校が国民学校へと改称されるとともに,「皇国の道」にのっとって,初等普通教育を施し,国民の「基礎的錬成」を行うことが国民学校の目的として規定された。その際,義務教育の修業年限が 6 年から 3 年に短縮された。
5.昭和 22(1947)年に教育基本法が制定され,同法第 1 条では,個々人の基礎学力の形成という教育の目的が示された。また,同法第 3 条では,国は全ての国民に対して,能力の有無にかかわらず,同じ教育を受ける機会を与えなければならないと規定された。
解 説
選択肢 1 ですが
1872(明治5 )年,我が国最初の統一的な近代学校制度を定めた「学制」が公布されました。学制に代わる教育令は 1879 年です。制定したのは田中不二麿です。また、年号等が曖昧であっても、「全ての人々が身分に応じた異なる教育」という部分に違和感を覚えるのではないでしょうか。選択肢 1 は誤りです。
選択肢 2 ですが
明治 33 年の第三次小学校令により義務教育無償制が確立し、明治 35 年に 就学率 9 割を初めて超えます。「明治 23(1890)年までに,男女共に9割を超えた」わけではありません。選択肢 2 は誤りです。
選択肢 3 は妥当です。
第三次小学校令、及び教科書疑獄事件についての記述です。
選択肢 4 ですが
1941 年は、小学校令が全面改正され「国民学校令」が公布、施行された年です。この部分の知識に不安があったとしても「義務教育の修業年限が6年から3年に短縮」という記述に違和感を覚えるのではないでしょうか。国民学校令は8年の義務教育を定めました。選択肢 4 は誤りです。
選択肢 5 ですが
旧教育基本法第 3 条によれば「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて・・・」とあります。「能力の有無にかかわらず,同じ教育を受ける機会を与えなければならない」と規定されたわけではありません。選択肢 5 は誤りです。
以上より、正解は 3 です。
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