問 題
日清戦争及び日露戦争に関する記述として最も妥当なのはどれか。
1.日本が指導した軍制改革に不満を持った朝鮮の兵士や民衆が反乱を起こし、日本公使館などを襲撃した義和団事件において、日本が軍隊を出してこれを鎮圧したことで、日清間の緊張が高まった。
2.日清戦争に勝利した日本は、下関条約で、清に朝鮮の独立や都市の開港を認めさせたものの、賠償金が得られず、さらに、三国干渉により台湾の返還を求められたため、国民の不満が高まった。
3.日清戦争後、日本は、遼東半島や満州の占領を行うなど、着実に清への支配を強めていったが、これに対しロシアは、清の門戸開放・機会均等を唱えたため、日露間の緊張はより深刻なものとなった。
4.日露間の対立が深刻化すると、ロシアとの戦争に対し日本国内でも賛否が分かれた。社会主義者の幸徳秋水や堺利彦、キリスト教徒の内村鑑三は、主戦論を唱えて強硬意見を主張した。
5.日露戦争で、日本は、米国の仲介によって、ロシアとポーツマス条約を調印した。しかし、その内容に不満を持った国民が暴徒化し、交番や政府系の新聞社などを襲撃した。
解 説
選択肢 1 ですが
義和団事件は、清朝末期における排外運動です。「日本が指導した軍制改革に不満を持った・・・反乱」ではありません。
1900 年に義和団を中心とする大群衆により、北京の外国公使館区域が包囲された事件です。8カ国連合軍出兵により、北京が占領され、北京議定書が講和条約として結ばれる流れになりました。選択肢 1 は誤りです。
選択肢 2 ですが
日清戦争後の下関条約で、朝鮮の独立承認、遼東(りゃおとん)半島、台湾、澎湖(ほうこ)諸島の日本への割譲、多額の賠償金の支払いなどを定めました。「賠償金が得られず」という記述は誤りです。この後、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉により、「遼東半島」返還を強要されます。「台湾」ではありません。選択肢 2 は誤りです。
選択肢 3 ですが
日清戦争後、遼東半島や満州占領を行ったのはロシアです。選択肢 3 は誤りです。
選択肢 4 ですが
日露戦争前における少数派が非戦論者でした。代表例が幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三です。選択肢 4 は誤りです。
選択肢 5 は妥当です。
日露戦争後ポーツマス条約が結ばれますが、賠償金が一切なかったことなどを不満に持った国民が暴徒化しました。
以上より、正解は 5 です。
類題 H30 no28 明治時代以降の我が国の外交
https://yaku-tik.com/koumuin/h30-kousotu-28/
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