公務員試験 2019年 国家一般職(教養) No.35解説

 問 題     

17 世紀から19 世紀にかけてのインドに関する記述として最も妥当なのはどれか。

1.17 世紀初頭,ポルトガル,オランダ,英国,ドイツが相次いでインドに進出し,ポルトガルとドイツは交易を王室の独占下に置いた一方,オランダと英国は政府がそれぞれ東インド会社を設立して交易を行った。

2.18 世紀に入ると,英国とオランダの対立が激しくなり,両国はそれぞれインドの地方勢力を味方につけて争ったが,英蘭戦争でオランダが英国に敗れると,オランダはインドから撤退し,英国はその勢力をインド全土に拡大した。

3.19 世紀半ば,英国の支配に対するインド人の不満の高まりを背景に,英国東インド会社のインド人傭兵(シパーヒー)の反乱が起こった。反乱軍は,デリーを占拠してムガル皇帝を盟主として擁立したが,英国軍によって鎮圧され,ムガル帝国は滅亡した。

4.ムガル帝国の滅亡後,英国は,東インド会社を解散させ,旧会社領を英国政府の直轄領に移行させるとともに地方の藩王国も併合して,エリザベス女王( 1 世)を皇帝とし,インド全土を政府直轄領とするインド帝国を成立させた。

5.インド帝国成立後,国内の民族資本家の成長や西洋教育を受けた知識人の増加を背景に高まってきた,植民地支配に対するインド人の不満を和らげるため,英国は,ヒンドゥー教徒から成るインド国民会議とイスラム教徒から成る全インド=ムスリム連盟を同時に設立した。

 

 

 

 

 

正解 (3)

 解 説     

選択肢 1 ですが
交易を王室の独占下に置いたのは、スペインとポルトガルです。また、ドイツはインドに進出していません。選択肢 1 は誤りです。

選択肢 2 ですが
18 世紀
に入り対立が激しくなったのは、英国と「フランス」です。英蘭戦争は 17 世紀後半に展開された、海上貿易の覇権をめぐる戦争です。

選択肢 3 は妥当です。
シパーヒーの反乱についての記述です。

選択肢 4 ですが
インド帝国の皇帝を兼任したのは、英国ヴィクトリア女王です。エリザベス女王(1世)ではありません。選択肢 4 は誤りです。

選択肢 5 ですが
イギリスがインド懐柔策としてインド国民会議 → 多くがヒンドゥー教徒からなる国民会議結成、反英・独立運動を展開 → イスラム教徒を、ヒンドゥー教系の国民会議派から分断させるために、イギリス支援による全インド=ムスリム連盟結成 という流れです。「インド国民会議と全インド=ムスリム連盟が同時に設立」ではありません。選択肢 5 は誤りです。

以上より、正解は 3 です。

コメント